――お二人は旧知の仲とか?
為末 同じ広島市の出身なんです。学校は違うけど、陸上をやっていて。
糸川 初めて会ったのは中1の広島市の代表合宿です。かれこれ20年になります。腐れ縁ってやつです(笑)。
――糸川さんがメディア・トレーニングに取り組むきっかけは、実は、為末さんにあったそうですね?
糸川 放送局所属のアナウンサーをしていたころ、為末くんから「インタビューの受け方みたいなのを習った」というのを聞いて、『へえ、そういうものがあるんだ』と思ったのが最初ですね。その後、だんだんと情報が集まってきて、最終的に『メディア・トレーニング』という概念に行き着き、取り組むきっかけになりました。
為末 あるといいなと思った、一番最初の問題意識はなんだったの?
糸川 私、学生時代は、マスコミって選手に対してすごく失礼な存在だと思っていたんです。でも、それは選手の立場で見ていたからであって、実際に自分が取材する立場になってみると、選手側にも改善すべき点があることが見えてきたんですよね。また、どちらも悪気はないのに、いろいろな条件が重なってうまくいかなかったということも多かった。話を聞いたのがちょうど『どうすればよりよい形にできるんだろう』と考えていたときだったんです。それでメディア・トレーニングが『よりよい関係が生み出せる何か』になるかもしれないなと思って…。
日本で2回、アメリカで1回、メディア・トレーニングを受講。
――為末さんのメディア・トレーニングの経験をお聞かせください。糸川さんの契機にもなった「インタビューの受け方みたいなの」が最初ですか?
為末 そうです。最初のメダルを獲った(2001年世界陸上)あとだから、たぶん24歳か25歳くらいだったと思います。スポンサードしてくれるメーカーの手配で受けました。どんなふうに話したらいいかとか、どう見えているかというような内容のものだったんだけど。
――その後、また受けたそうですね?
為末 30歳になってもう1回受けています。渡米する前です。実は、その後、アメリカでも受けているんです。
――それは自発的に受けた? 何かきっかけあったのですか?
為末 ここでうまく自分をアピールできれば次につながるとか、温めている企画を話してうまくいくかどうかが話し方や見せ方によって違ってくるみたいな場面が、ちょうど増えてきていたんですね。そこに興味を覚えて、学べるところを自分で探して受けました。例えば、説得をするのに必要なストーリーをつくることや組み立て方、コンテンツや中身、そして、どうアウトプットするかといったベーシックな内容です。でも習ったことは、だいたい自分がこうじゃないかと思っていて、書き留めていたりしたこととほぼ同じだったから、新しく何かを身につけたというわけではなかったのですが。
――スポーツ専門のところですか?
為末 当時はスポーツ専門のところがなくて、結局、企業向けのプログラムでしたね。
糸川 当時、企業向けのものしかなかったと思います。
――アメリカで受けた内容は?
為末 向こうで受けたのは、特にスピーチをするプログラムです。アメリカって3分スピーチみたいなのをすごくやるのですが、それが苦手な人は実はアメリカにもたくさんいるんですね。その方法を学ぶ教室です。僕自身は英語の勉強のつもりで行ったんだけど、すごく面白かったです。32~33歳ころだったかな、受けたのは。でもアメリカ人にも、スピーチの下手な人はいて、ちょっと安心しました(笑)。
積極的に発信し始めたきっかけは?
糸川 どちらかというとアスリートのインタビューって、聞かれたことに答えるという受け身な感じがするんだけど、でも為末くんは能動的でしょ? 「こんなこと伝えたいんだけど、伝えてください」っていう。それってほかにいる? 日本のアスリート仲間で。
為末 いないよね、たぶん。みんなスターなんだよ。北島(康介)くんも、ダルビッシュ(有)くんも、イチローさんも。来るんだもん、放っておいてもメディアが。で、俺、来ない子だったからさ(笑)。
糸川 けっこう来てると思うけどね。
為末 来るようにはなったよ。でも、最初は来なかったからね。だからそれが大きかったと思う。これで食っていかなきゃいけないのに来ないし、かといって競技力でバーンと行けるかというと、金メダル、本当に獲れるのかなみたいな(笑)。そう考えたときに、アピールする必要に迫られてというのもあったよね。あとは「黙して語らず」みたいなのがかっこいいなという思いはあったけれど、どこかのタイミングで「もう時代が違う」って吹っ切れたときがあって、それでしゃべりだしたというのはあったよね。
――周囲のアスリートを見て、もっと発信したほうがいいと思いますか?
為末 そうしたほうがいいと思います。人によっては引退してホッとする選手もいるんですよ、もうメディアに話さなくて済むって。でも、引退してからもメディアに出ようと思っているのであれば、もっと現役のときから自分のパーソナリティをわかってもらうようにしたほうがいい。努力しているか、意識があるかどうかでだいぶ違うと思いますね。そういう意味では、引退してどっちに進むかわからなくても、選手にとってファンがいるっていうのはいいことなんだから、発信すると可能性はもっと広がるよって思いますね。
糸川 例えば、オリンピックに出るって、一般の人にはできない経験じゃない? そしてその経験は、多くの人の支援の上に成り立っている。私は、そういう貴重な経験を、世の中に還元してほしいって思うんだよね。それをより広めることができるのはメディアじゃない? もちろん全員が全員、あなたのように饒舌じゃなくていいと思うけれど…。
為末 俺の仕事なくなっちゃうから、そういう人が出てきちゃうと(笑)。
糸川 確かに(笑)。でも、もうちょっと能動的にメディアを通じて社会とつながろうというアスリートが増えるといいなというのが私の願い。
人前で話すのが嫌いだった少年時代。
――為末さんは、もともと人前で話すことに抵抗はなかった?
為末 いえ、僕、子どものころ、それが大嫌いだったんです。
糸川 本当に?
為末 ホント。親戚の前でいつもしゃべらされるから。いたんだよね、「大にしゃべらせろ」って言う親戚のおじさんが。そのときにはいなくなるとか、それがあるから行かないと言ったりとかしてた。小学生くらいまでの俺を見ている人はたぶんそのイメージあると思う。
糸川 私が初めて会った中学のときには、けっこう目立ちたがりな感じだったけどね。そんな小学校時代があったというのは意外だな。
為末 どっかで吹っ切れることと、やっぱり意識が変わっていくというのが大きいかもしれないよね。
糸川 いくらメディア・トレーニングを受けても、アスリートの情報発信に対する意識が変わらないことにはやっぱり何も変わらないんですよね。変わっていってくれるようにと努めてはいるんだけど。メディア・トレーニングって、まだアスリートが必要性に気づいて積極的に受けるという状況にないじゃない? 受けなさいと言われるから受けるという感じ。「もっとうまく伝えたい、だから受けたい」と希望して受ける人が出てくるようになったら、メディア対応も変わっていって、社会におけるアスリートの立場も変わっていくような気がするんだよね。
為末 そうだね。
――そういったテクニックを身につけて、為末さんは自分で変わったなと思うことありますか? 取材を受けているときに。
為末 先までコントロールしようとするようになってきましたね。動画なら動画を経た媒体の先とか、活字なら編集された先をコントロールしようと。目の前にいる取材してくれる人と、一緒にそれをつくっていくというのかな。『こういう記事にしようね』みたいな感じが互いに出てくるというのを意識するようになって…。そうすると面白いんですよ、取材って。
糸川 要は届ける先は取材者もアスリートも…。
為末 同じところだからね。で、目的も実は一緒なんだよね。
――その一方で、同じ現場にいても、立ち位置が違うと見方は変わります。いつも良く取り上げてくれるとは限りません。そういう意味では、『同じ』と考えすぎないことも大切なのでは?
為末 味方じゃなくて、ある種、同志ですからね。絶対的なサポーターではないので、もちろん批判が出てくることもある。でも、それは取材者の個人的な思いじゃないと考えるように意識しました。なるべくメディアの人に対してフェアでいるということは大切だと思います。
ソーシャルメディアを使っての情報発信。
――為末さんは、早い時期からソーシャルメディアを積極的に活用されてきましたが。
為末 メディア・トレーニングを行う上でも、ソーシャルメディア対策はすごく重要だと思いますね。ソーシャルメディアのトラブルの95%は自分でない人の発信が原因と先日聞きました。つまり、ソーシャルメディアをやりませんっていう人は、自分の写真が出回っていてもチェックできないわけなんです。
糸川 最大の防御はソーシャルメディアと深くつきあうことだと思う。
為末 そうそう。知り尽くすしかないんだよね。悲しいかな、そういう世界になっちゃっている。
――利用しているうちに使い方のコツがわかるようになります。
糸川 小さいミスから学んで、大きいミスを防ぐみたいなところはありますね。
為末 そういう意味では、ああいうのでコツコツやるのって、本当のマスのメディアに出たときの距離感を学ぶ、いい練習場だと思うんだよね。俺も本当にしゃべる前に、わざと、ソーシャルメディアで試して反応見たりしてる。
糸川 有名な人ももちろんなんだけど、メディア出演が少ない人たちほど、ソーシャルメディアってうまく利用できると思うんだよね。そこを気づけていない人がいるから、すごくもったいない。肖像権の問題とかをきちんとクリアしていれば、動画だって流せるわけじゃない? クオリティは別としても、いろいろなものを発信できて、それがきっかけで二次的に取材につながるケースはあるわけだから。もうちょっと積極的に使いたいよね。
大事なのは中学校くらいの時期。
――糸川さんは、メディア・トレーニングをジュニアの段階から取り入れることを勧めています。為末さんは、どう思いますか?
為末 僕も賛成です。大事なのは中学校くらいの時期だと思いますね。そのくらいから学ぶ機会があって、人前で話したり自分の意見を発信していく経験をもつのはいいことだし、そういうことはスポーツのなかの一部といえるくらい大切なんだよと指導していい気がします。もっと本質的なことを言うと、社会に出てから自分の考えを発表しないで成り立つ職業はほとんどないんですよね。そう考えると、スポーツをやるやらない以前の話になってくるわけで、一般の人たちにもいいと思うんです。絶対にしゃべったほうがいいし、発信したほうがいいぞって。
――そういう意味で、メディア対策としてご自身が選手時代にやってきたことや経験は、引退して役立っている?
為末 はい。役立っていると思うし、自分の強みになっていると思います。社会に出て、僕、物事を発信していく能力は、同世代の人と比べて圧倒的に高いと思うんですよ。ほかのこと…時間は守れるようになったけど、メールはさばけないし、道に迷うし、忘れ物も多いし、いろいろできないことが多いんだけど(笑)、それだけは唯一と言っていい。これって引退したスポーツ選手のすごい武器になる気がするんですよね。
糸川 プレゼンがうまいとか、営業すごく上手とか。
為末 そうそう。競技をやりながら、いろいろ鍛えるのって難しいからね。ある意味でセカンドキャリア支援の深い部分にもかかわることだと思うな。
糸川 日本では、どちらかというとスポンサー対応とかそういう感じにとらえられがちだけど、海外のメディア・トレーニングは、現役のときからセカンドキャリア支援の一環として取り入れられています。それにメディア・トレーニングを取り入れることは、メディアの向こうに社会がいるということに目を向けるきっかけにもなるから、スポーツ界だけにとらわれず、広い社会を意識できるようになるという意味でも、セカンドキャリアに違いが出ると思いますね。
為末 まさにそう。世界を広げるよね。マスのメディアだけでなくて、目の前の10人に話すこととかも含めて全然違うと思う。自分の発信する意識が変わって、技術がうまくなっていくと、どんどん楽しくなると思うな。
為末 大(ためすえ・だい)
広島県出身。元陸上選手。世界選手権400mハードル エドモントン・ヘルシンキ大会で銅メダル獲得。引退後は、テレビコメンテーターとしても活躍。著書に「走りながら考える」(ダイヤモンド社)など。
糸川 雅子(いとかわ・まさこ)
広島県出身。筑波大学大学院 修士(体育学)。放送局を経て、スポーツメディアトレーナー?に。NPO法人日本スポーツメディアトレーナー協会を設立。
構成・文・写真 スポーツライター 児玉育美
スポーツ振興くじ助成事業